「沈黙」 野口五郎
作詞・松本隆 作曲・筒美京平 編曲・筒美京平
1977年4月25発売A
今だから 話しますけれど
1977年のこの時に
どうしてこの曲だったんだろう、と
ずっと思っていました。
確かに キレもよく すっきりとして
かっこいい曲です。
クールで男らしい感じです。
1977年は1月からずっと
明治チョコレートのコンサートで
五郎さんのステージに東海林先生も立たれていました。
全国をいっしょにまわっていらっしゃいました。
そして4月には 五郎さんにとっては初めての日生劇場リサイタルで
音楽監督、編曲、指揮、を東海林修先生が担当され
10曲もの新曲を披露され 成功を収められました。
そういう時期だったので
'76~'77年というのは 五郎さんの歌のイメージは
筒美先生より東海林先生のイメージの方が強くありました。
けれど東海林先生の作品は
まったくシングル作品になることはありませんでした。
のちに「コーラス・ライン」がシングルになりましたけれど
東海林先生の作品のシングル曲は
この一曲となっております。
東海林先生が亡くなられて
しみじみ思うのですけれど
'76~'77のこの時期に 一曲でも
先生の作品が シングルになっていれば・・・・と
残念でなりません。
これは 私が東海林先生と交流があったために
どうしても思ってしまうことでありますから
こうして 申し上げてしまうことは
どうか寛大に読み流していただきたいと思います。
「はじめからあなたは愛を
たわむれとわりきっていた」
当時の私には
この詩の内容も音楽も
とても難しかったように思います。
なにしろ幼かったですし
恋愛についても こういう大人の内容は
まったくわからなくて
想像することすら難しかったです。
松本隆さんも これまでの五郎さんのイメージを変えていくために
ぐっと大人のクールな世界を描かれたのだと思います。
テレビで見ていても 五郎さんは嬉しそうでした。
私も 今ならこの歌詞の世界もわかるのですが
当時のファンはあまりにも幼くて
純粋でまっすぐでした。
かえって今 歌われた方が似合うのではないでしょうか。
五郎さんの歌とともに
私たちも成長してきたように思います。
けっこう必死だったような気もします。
作詞・松本隆 作曲・筒美京平 編曲・筒美京平
1977年4月25発売A
今だから 話しますけれど
1977年のこの時に
どうしてこの曲だったんだろう、と
ずっと思っていました。
確かに キレもよく すっきりとして
かっこいい曲です。
クールで男らしい感じです。
1977年は1月からずっと
明治チョコレートのコンサートで
五郎さんのステージに東海林先生も立たれていました。
全国をいっしょにまわっていらっしゃいました。
そして4月には 五郎さんにとっては初めての日生劇場リサイタルで
音楽監督、編曲、指揮、を東海林修先生が担当され
10曲もの新曲を披露され 成功を収められました。
そういう時期だったので
'76~'77年というのは 五郎さんの歌のイメージは
筒美先生より東海林先生のイメージの方が強くありました。
けれど東海林先生の作品は
まったくシングル作品になることはありませんでした。
のちに「コーラス・ライン」がシングルになりましたけれど
東海林先生の作品のシングル曲は
この一曲となっております。
東海林先生が亡くなられて
しみじみ思うのですけれど
'76~'77のこの時期に 一曲でも
先生の作品が シングルになっていれば・・・・と
残念でなりません。
これは 私が東海林先生と交流があったために
どうしても思ってしまうことでありますから
こうして 申し上げてしまうことは
どうか寛大に読み流していただきたいと思います。
「はじめからあなたは愛を
たわむれとわりきっていた」
当時の私には
この詩の内容も音楽も
とても難しかったように思います。
なにしろ幼かったですし
恋愛についても こういう大人の内容は
まったくわからなくて
想像することすら難しかったです。
松本隆さんも これまでの五郎さんのイメージを変えていくために
ぐっと大人のクールな世界を描かれたのだと思います。
テレビで見ていても 五郎さんは嬉しそうでした。
私も 今ならこの歌詞の世界もわかるのですが
当時のファンはあまりにも幼くて
純粋でまっすぐでした。
かえって今 歌われた方が似合うのではないでしょうか。
五郎さんの歌とともに
私たちも成長してきたように思います。
けっこう必死だったような気もします。
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